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クラシック入門×日本史② 〜バロック後期と元禄時代〜

Vol.1からの続き

リュリによる功績

1650年代、ルイ14世の王室楽団のリーダーとして活躍していたジャン=バティスト・リュリにより、オーケストラの音は進化を遂げます。

ジャン=バティスト・リュリ(1632~1687)

音量が大きく華やかな響きをつくるために、オーボエを改良して音域を増やし、旋律パートをヴァイオリンとオーボエで奏でることに成功しました。
その結果、弦楽器と管楽器が混じり合う編成が生まれ「管弦楽」の大きな一歩を踏み出すことになります。

リュリの生涯が終わるのと入れ替わるように、バロック期を代表する作曲家たちが同時期に登場します。

ヴィヴァルディ、ヘンデル、J.S.バッハです。



ヴィヴァルディ

アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)

1725年に有名な「四季」を含むヴァイオリン協奏曲集を出版。

ヴィヴァルディも偉大な作曲家の一人ですが、バロック時代で今日に至る影響力が強い「巨匠」としてヘンデルとバッハの2人が挙げられます。


ヘンデル

まずバッハより一ヶ月早く生まれたヘンデルについて。
音楽に反対する父に隠れ屋根裏部屋でピアノを練習し、17歳で大聖堂のオルガン奏者として任命され、そこから鬼のように作曲に時間を費やしていたそうです。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759)

彼はモーレツ音楽家だったようで、素晴らしい音楽を書き、お金を稼ぎ、亡くなったときの財産は現在の価値で2億〜3億相当あったと言われます。

ヘンデルは、ロンドン市民を顧客にして音楽会の予約料・入場料を得て全体をマネジメントする方法を導入した、初めての音楽家とされています。

ヘンデルの曲の中でも特に有名なのは、オラトリオの「メサイア」ではないでしょうか。「ハーレルヤ!ハーレルヤ!」は誰もがどこかで聞いたことのあるフレーズだと思います。

J.S.バッハ

多くの人々から尊敬される音楽の父バッハは、ドイツに生まれ、終生ドイツからは出ず、王と教会に仕えました。

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)

バッハはとにかく勉強意欲旺盛で、その姿勢は生涯変わらなかったといいます。ひたすら教会で曲を書き続け、その数は1000曲以上に登りました。

当時バッハは名声を轟かせることはなく、後にメンデルスゾーン(ロマン派の作曲家)が中心となってバッハ復興を行った結果、その評価は再び上昇し、多くの音楽家たちから崇められる存在になったのです。

20世紀の偉大な音楽家、ドビュッシーは「バッハだけが永遠の真理を見抜いていた」と語るほど、「音楽の父」として絶対的なポジションに君臨することになります。

現代でもバッハの楽曲はどれもどこかで耳にしたことがある有名な楽曲ばかりです。時代を超えて愛される楽曲を生み出した天才作曲家でした。



一方その頃日本では

リュリが活躍していた時代、徳川家綱が5代将軍を継ぎ、元禄時代に入ります。この時期、日本は多くの災害に見舞われました。

1657年 明暦の大火
1695年 奥州の飢饉
1698年 勅額大火
1703年 元禄大地震
1704年 浅間山噴火
1707年 富士山噴火
1708年 宝永の大火

庶民の文化が花開く

一方で、元禄時代には様々な文化や娯楽が生まれました。
浮世草子と呼ばれる小説が人気となり、木版印刷が普及したため大量に出版され、庶民のあいだに広がりました。
内容は、当時の庶民の生き方や暮らしをリアルに描いたもので、それまでにない物語でした。

絵画の世界では、庶民の風俗を描いた浮世絵が生まれました。浮世絵もまた木版によって大量に刷られ、世間に広がることになります。

浮世絵

日本独自の文芸も絵画も、元禄文化から庶民に嗜まれ、育まれていくことになります。

赤穂事件

元禄時代に庶民を驚かせた事件としては、1701年に起きた赤穂事件があります。

吉良邸討ち入り

赤穂藩の浪人たちが主君の仇を取るために吉良上野助邸に討ち入りした、いわゆる「忠臣蔵」と題されたエピソードとして現代でも時代劇などで有名な出来事です。

インフラ整備と都市の発展

参勤交代の影響から全国の街道が整備され、城下町の水道インフラ整備により都市部が発展し、元禄時代には江戸の人口は約三十万人にもなったと言われています。

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