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クラシック入門×日本史③ 〜古典派の巨匠達と化政文化〜

前回からの続き

1770〜1810年代、ウィーン黄金期と呼ばれる時期に入り、それまでオペラの脇役だったオーケストラが、「交響曲」として主役に躍り出るようになり、クラシック音楽のスタンダードとなっていきます。

その時期に活躍した作曲家たちは「ウィーン古典派」と呼ばれ、クラシックの歴史は「バロック」から「古典派」と呼ばれる時代にシフトします。

古典派の作曲家の中で三大巨匠とされるのが、ハイドンモーツァルト、そしてベートーヴェンです。


ハイドン

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)

ハイドンは30年わたり伯爵家で宮廷音楽家として使え、召使い的な位置づけの中で惨めな思いを抱きながらも、その間に104曲もの交響曲を作曲しました。
宮廷楽団が解散されるとハイドンはフリーの音楽家となり、晩年はロンドンに招かれ交響曲を演奏します。新天地ロンドンでハイドンは熱狂的に受け入れられ、オックスフォード大学から名誉博士号を授与されるなど、大成功を収めます。

1808年に『天地創造』が演奏されたときには、初演に殺到する群衆から「ハイドン万歳!」の声がこだまするぐらい、人々から称賛を得た作曲家でした。


モーツァルト

「誠実な人間として、神にかけて申し上げますが、あなたのご子息は私が名実ともども知るもっとも偉大な作曲家です。彼はよき趣味をもち、そればかりか作曲の知識をこの上なくおもちです」
ハイドンがモーツァルトの父に語った言葉です。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)

ハイドンとモーツァルトは、24歳違いでしたがお互いを尊敬し合う良き友だったようです。モーツァルトは、早熟の天才でした。36歳の若さで、ハイドンよりも先に亡くなってしまいます。

幼少期から約10年に渡る演奏旅行により、旅先でどんどん新しい音楽を吸収していき、行く先々で大きな賛辞を受け「神童現る!」と王族や上流階級から愛されました。長い旅を終えたあと、最後の10年はウィーンでレッスン・音楽会・作曲で収入を得ながら生活を送ります。


ベートーヴェン

「歴史上、彼ほど素晴らしい音楽家はいない。」

世界的指揮者であるチョン・ミョンフンにこう言わしめるのが、かのベートーヴェンです。
この賛辞は世界共通のものであり、ベートーヴェンは世界で最も有名で、最もその曲が演奏された回数が多い音楽家でしょう。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(1770〜1827)

彼は音楽家は召使いとして王族に仕えるという階級構造に疑問を持っていました。
フランス革命を横目に見て、われわれ市民も貴族も皆平等だ、という思いを持ち、貴族のためではなく、国民のためではなく、人類みんなのために曲を書く、と宣言しています。

自分の思いを曲の全面に打ち出した初めての音楽家はベートーヴェンだと言われています。
今ではあたりまえですが、それまで音楽家が自身の感情を音楽に託して告白する、なんていうことはなかったわけですから、まさに驚天動地の出来事でした。

晩年は聴力を失いながらも、1824年に「交響曲第9番」が初演され、ベートーヴェンが指揮を振るいました。
演奏後、割れんばかりの熱狂的な拍手が会場を包みましたが、耳が聞こえないベートーヴェンは観客に背を向けたままその大喝采には気づかず、一人の歌手が彼のもとに駆け寄りくるりと客席の方に向かせました。観客は耳が聞こえないベートーヴェンを気遣い、ハンカチを振って感動を伝えました。その光景を見た彼がひどく感激したのは言うまでもありません。


いっぽうそのころ日本では

古典派の巨匠が活躍し、ヨーロッパではウィーン黄金期と呼ばれた同時期に、日本でも町人文化が花開きます。

この時期は「化政文化」とよばれ、1804年〜1830年に最盛期を迎えます。

浮世絵は技術が上がり、多色刷りの豪華絢爛な版画が多数作られ、また滑稽本・歌舞伎・川柳など、現代にも一般的に知られる江戸文化の全盛期にあたります。

葛飾北斎『冨嶽三十六景 凱風快晴』
(通称:赤富士)
三代目大谷鬼次の江戸兵衛

押し寄せる異国船

1760年代から、ロシア戦が日本近海に出没し始めており、1790年代には、ロシア船、イギリス船、アメリカ船が次々と来航して、幕府に通商を要求するようになりました。幕府はそれらをいずれも拒否しています。

鎖国令を出してからおよそ150年という時間が流れ、ヨーロッパ諸国はこの間に科学力や武力を強め、すでに日本は大きく遅れを取っていましたが、幕府はその現実と深刻さに気づいていませんでした。

ヨーロッパ諸国は各国を次々と植民地化を進めており、極東の日本は最後のターゲットであり、着々と距離を詰めてきている状況でした。


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