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クラシック入門×日本史④ 〜ロマン派時代と幕末維新〜

Vol.3からの続き

ロマン派の台頭

1827年、ベートーヴェンは56年の生涯に幕を閉じました。

そして、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを代表とする「古典派」に大きく影響を受けた若き作曲家たちの、クラシック音楽の新たな時代が始まります。

シューベルト、シューマン、リスト、ワーグナー、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーグ、マーラーといった作曲家が登場する1900年頃までを、「ロマン派」と呼びます。

「ロマン派」は英語では「Romantic」となります。
その名のとおり、ロマン派の音楽は、よりストーリー性が強まる傾向にあります。
さながら小説を読んでいるかのように、聴くものを別世界に導くような音楽が多く生み出されることになります。

この時代は、市民階級にもクラシック愛好家が増え、コンサートに出かけたり、自ら演奏を楽しむような文化が広がり、音楽が王族貴族だけのものではなく、市民の娯楽として浸透していきました。

また、作曲家の構想がこれまでの楽器の機能では到底表現できなくなり、楽器の種類も拡大していくことになります。


ロマン派で活躍した作曲家を見ていきましょう。


フランツ・シューベルト(1797〜1828)


ロベルト・シューマン(1810〜1856)


エクトール・ベルリオーズ(1803〜1869)


フランツ・リスト(1811〜1886)


リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883)

ヨハネス・ブラームス(1833〜1897)

ピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893)



いっぽうそのころ日本では

ロマン派が活躍した時代、日本は激動の幕末を迎えることになります。

1833年、天保の大飢饉が起こりました。
1830年から約十年間、天候や災害による不作が続き、毎日のように餓死者が150〜200人も出たといわれています。
この十年で日本の人口は125万人以上減少したといわれています。

天保の大飢饉

幕府の怠慢な対応や、米の買い占めにより、不満を爆発させた民衆の暴動が各地で頻発しました。(大塩平八郎の乱、生田万の乱など)
この一連の出来事がきっかけで、民衆がお上のやり方に異を唱える意識が芽生え、幕府の権威が低下していくことになります。

黒船来航

1853年、ペリー提督率いるアメリカの軍艦四隻が浦賀に来航し、武力行使をほのめかして、日本に開国を要求してきました。

ペリ男

200年以上にわたる鎖国により平和ボケした幕府はただただ慌てふためくばかりでした。兎にも角にも、日本という国家はこの出来事以降、無理やり国際社会に引きずり出されることになります。

開国

1854年、アメリカを恐れた幕府は、3月に「日米和親条約」を結びました。これにより200年以上続いた鎖国の時代がついに終わりを告げます。

1858年には大老の井伊直弼が朝廷の勅許を得ずに「日米修好通商条約」を結んでしまいます。これは日本にとってきわめて不利な条文を含む不平等条約でした。(「アメリカの領事裁判権を認める」「関税自主権がない」等)

同じ年、幕府はアメリカと結んだものとほぼ同内容の条約をオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結んでしまいます。

これに怒った攘夷派たちによって井伊直弼は殺され、尊王攘夷を掲げる若き志士たちが世間に台頭していくことになります。



大政奉還・王政復古の大号令

倒幕を目論む薩摩藩と長州藩が手を結び、薩長連合による倒幕運動が本格的になることで幕府はいよいよ追い詰められます。
1867年、15代将軍徳川慶喜は大政奉還をすると上表しました。

大政奉還


これにより約260年続いた徳川政権は終わりを告げます。

1868年、倒幕派の公家や薩摩藩により「王政復古の大号令」が発っせられました。これは徳川慶喜を筆頭とする旧幕府陣営を廃絶し、新政府を樹立するという宣言です。

ここから新政府によって怒涛の勢いで国の大改革が行われ、日本は江戸時代までの国体とは大きく変化していきます。

・1868年「江戸」→「東京」に名称変更
・1868〜1869年 戊辰戦争
・1871年 廃藩置県・散髪脱刀令
・1872年 日本初の鉄道が開通
・1873年 廃城令
・1877年 西南戦争
・1889年「大日本帝国憲法」が交付

この一連の流れが後に「明治維新」と呼ばれることなります。まさに日本にとって激動の時代でした。

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