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映画「イノセンス」に見る、テクノロジーと人間の近未来像

今回はある映画に絡めて、感じていることを書いてみたいと思います。

その映画とは。

2004年に公開された押井守監督のアニメ映画作品「イノセンス」です。

映画が公開された当時は、その難解な内容から、結局どういう物語で、どういうメッセージを受け取ればいいのかがわかりませんでした。

その理由の一つとしては、作中の世界観が完全に空想のものと思えたからです。

一種のパラレルワールドが舞台で、あくまでその舞台設定の中で出来事や思想が展開されているように感じ、いまいちリアリティを感じることができなかったのです。

しかし────

今の歳になってNetflixで観返すと、観れば観るほど味の出てくるスルメ作品だということがわかり、今更ながら完全にその世界観にハマってしまいました。

というのも、その空想だと思われた世界が、今、徐々に現実世界と近づきつつあるように感じられたからです。

作中で描写される内容を見て「これって今似たようなことが起こりつつあるよね…?」と思うことが多いのです。

 

電脳化と義体化

攻殻機動隊やイノセンスで一貫して通ずるテーマに「電脳化」と「義体化」によるアイデンティティの議論があります。

現実に置き換えて考えると、「電脳化」でいえば、IOTデバイスが腕時計や眼鏡などウェアラブルになっているのが一つの兆候です。それらはいずれ、体内・脳にまで及ぶでしょう。

「義体化」でいえばその兆候は既に現れていて、顕著な例が「トランスヒューマニズム」になるかと思います。

▼トランスヒューマニズム

「新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例の無い形で向上させようという思想である。」
wikipediaより

例えば事故で腕や足を失った人に、高機能な義足・義手を移植します。そうすることで本来持っていた以上の機能やパワーが拡張されることになります。

別に怪我などしなくても、いっそ自分の体を「義体化」することで身体能力が拡張することになり、それ自体がIOTデバイスになれば機能面も向上します。

結果として義体化していくことが時代を生きるうえで最適化されることになるわけです。

現代人がスマートフォンを持たずにはいられないように。

 

そして行き着く先は────

 

以下は、主人公バトーが負傷した腕パーツを差し替えているときの会話

バトー「なぁ、俺のオリジナルの残りはどこだったかな?
医師「やめとけよ。その腕の有機素材だって、あんたのDNAと適合させてあるんだ」
バトー「使い込めば俺のオリジナルになる……か。」

そしてそれは「脳」にまで及ぶ。

トグサ「『その思念の総計はいかに多きかな。我これを算えんとすれどもその数は沙よりも多し』」
バトー「旧約聖書“詩篇”の139説か。とっさにそんな言葉を検索するようじゃ、お前の外部記憶装置の表現形もちょっと偏向してるな」

作中の会話シーンでも、口で喋るわけではなく、脳と脳の通信で意思の疎通を行なっています。会議のシーンでは、全員がその場にいるわけではなく、互いがホログラムで参加しています。

こうなると喋るための「口」という機関は要らなくなり、体がサイボーグ化されているならば、口から物を食べるという事も無くなるわけです。

 

今後の未来予想

トランスヒューマニズムによって肉体のすべては代替可能なパーツとなり、より利便性の高い能力の拡張のために体はほぼ「サイボーグ化」していく…そして脳は全てのデータ、場所、思念に繋がり、統合されていく…

そして最終的にヒトとして残るのは、その人物を識別出来るのは、「意識」や「思念体」のみに絞られていく…

そして意識や思念さえも外部化出来るなら、人は物理的な「死」さえも超越出来るようになる…?

まだ遠い遠い未来の話だと思いますが、そんな世界が来る気がしてならないのです。

 

まとめ

とまぁこんな中二病的思考に陥ってしまうくらい、「攻殻機動隊」「イノセンス」は面白いからみんな観ろ!ということでした。押井守監督の作品づくりはやっぱりすごい。先見性があり、時間が経っても色褪せない「本物」の作品ですな。